1.面白さの新基準「tGP」


  世間には知られていないが、この世にはtGPという
  
娯楽作品の面白さを数値化する
幻の単位が存在する

  なぜ
かと言うと、7,8年前。
  私が仕事もせずに作ったオリジナル単位だからだ。

  そこだけ聞くと暇人の道楽で終わりだが、
  面白さの数値化に成功したのなら
  創作の長い歴史において大きな意味があるといえる。

  なぜなら、映画や漫画などの面白さというのは
  古来より
100%個人の主観に依存してきた

  そのため「面白さ」について議論すると、
  心証だけで進む裁判のように必ず泥沼化し。
  生み出される結論は、決まって

  
「面白さなんて人それぞれ」という糞みたいなものになるからだ。

  だが、数値化からは「人それぞれ」ではない。
  
万人が納得できる客観的な基準を導き出すことができるのである。

  そうすれば、個人の「好き嫌い」に左右されず
  車でいう『馬力』のような指標が作れるのだ。


  そして、この客観的な基準には、もっと大きな利点がある。

  創作活動をしたことのある人なら、こんな経験はないだろうか?

  自分の作ったものに対し
 
 「たぶん面白いと思うぐらいの確証しか持てず。
  不安なまま作業を続け、どうにか作品を完成させるが、
  人に見せても肩透かしな評価しか得られない

  もしくは「
ダメなのは分かる」のだが
  
何処をどう直せばいいのか分からず。
  いつも時間だけが無駄に過ぎていく。

  自分はただ面白い作品を作りたいだけなのに
  理不尽な「現実の壁」に阻まれ、一歩も前に進めず。
  その内、周りからは冷たく扱われるようになり、
  見返してやろうとするが何一つ結果には繋がらない。

  まるでブラックホールのごとく絶望へと引きずり込み
  「生めない」苦しみを心の傷に塗りたくられる。

  こんな『創作無間地獄』は確かに存在し
  今日も罪なきドリーマー達を苦しめている。


  しかし、一体
なぜこのような問題が起こるのだろう?

  その原因は世のつまらない業界人がいうような
  「才能」がないからでも、あなたが「努力」していないからでもない。

  作品のクオリティ修正が上手くいかないのは、それ以前に
  この世界に
「面白さの客観的な基準がない」からなのだ。


  だって、そうじゃないか。

  2012年の笹子トンネル崩落事故を思い出してほしい。

  あの事故の前。天井の点検方法は
  「下請けのおっさんが目で見て確認するだけ」という、
  ずさんなものであった。

  そんな方法で事故が防げるわけないのだが
  自分の主観だけで「たぶん面白いと思う」で製作を続けるのは
  それと本質的に、ほとんど一緒なのではないだろうか。

  「面白さの数値化」と聞けば、機械的で不誠実な感を受けるが
  本当は逆なのだ。

  現在の創作における常識は、恐ろしく効率が悪く。
  天下り団体のように俗物的な精神論に支配されている。


  だが「tGP」によって面白さを数値化すれば、
  『どこがダメ』で『どう直せばいいのか』が簡単に判別できる様になり。
  数多の創作物に存在する「面白さの取りこぼし」は
  大幅に減ることなるだろう。

  つまり、作品の面白さの数値化による
最大の利益とは、上手くすれば
  
世の娯楽作品全体の水準が底上げされるということなのだ。

  これが実現すれば、糞作品の被害に遭う機会が減るのは、もちろん。
  面白い作品が増えれば、経済的にも潤うところも増える。
  まさにwinwinの関係か築ける。

  そこで問題なのは、
主観を一切用いずに作品の面白さを数値化する
  その方法である。

  これまで面白さの数値化は、評論家による採点や
  レビューの統合などによって行われてきたが、私の
「tGP」
  
物語が展開される時に存在する絶対に覆すことの出来ない
  
『ある制約』を利用して数値化する。

  この制約を元にすれば、映画や漫画はもちろん。
  シリアス、コメディ、スポーツ物。
  さらにはミステリーだろうと媒体もジャンルも問わず。
  娯楽作品の持つ面白さのポテンシャルを「tGP」で表すことができるのだ。

  2.共通の制約に続く。



Pfbセクサロイドメニュー

面白さの数値化メニュー

スリーサイズ変換機



TOP
へ戻る